優雅なオブジェクトたちの宴会―下北沢国際人形劇『KAR』感想

次の感想は、チェコの劇団とスロヴェニアの楽団(DAMUZA+Fekete Seretlek)が上演する『KAR』です。

公式HPから紹介を引用します。

トルストイアンナ・カレーニナ』をモチーフにしたオブジェクトシアター。葬儀の晩餐会へ訪れた弔問客(=観客)にはウォッカが振る舞われる。グラスの音がメロディーに変わり、ティーカップはロシア宮廷舞踊を踊りはじめ、気がつけば観客はアンナ・ カレーニナの物語の登場人物になっている。アコーディオン、パーカッション、バイオリン、チェロ、コントラバスと歌声にのせて、机上のオブジェクトの予想もつかない動き・振る舞いが、故人の人生を次第に明かしていく。

 

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観てとても面白かったんだけれど、観たものが何だったのか言語化するのが大変難しく、当日夜頭を抱えながら感想を書いた記憶がよみがえります。でも音楽の迫力すごかったし、めっちゃ楽しかった。

(こちらの感想はデイリージャーナルに書いたものそのままとなります)

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優雅なオブジェクトたちの宴会―『KAR』感想(DAY5)

東風ゆば

 

 

 何が起こってるのかよくわからない、けどめっちゃ面白い、これが『KAR』を観た時の偽りない感想だ。まず、私は劇場に入り、空いている席を探しながら舞台の方向に目を向ける。そしたらそこには、白いフリルが飾ってあるテーブルの上に、お腹にアコーディオンをのせた男性が横たわっている。その近くでは、正装した男性が観客の姿を見て何かを羽ペンでメモしている。ローラースケートをはいて舞台を駆け回る男性もいる。後ろにはチェロもある。そこには美しく、ちぐはぐで、リズミカルな謎の空間が出現している。

 

 劇が少し進むと、横たわっている男性が死にかけている、ということが分かってくる。なるほど、テーブルは棺で、男性のお腹にあるアコーディオンの蛇腹の動きと音の響きは弱っていく呼吸の表現なのか、などと私は解釈してみる。しかし、序盤数分で何とか理解したその状況すらも、死ぬのが「今日」か「明日」か、「30年後」か、という言葉と、男性がテーブルから起き上がる勢いの強さで打ち消される。30年後だったら、今葬式しなくていいじゃん!と、つっこみたくなる。

 

 本作は『アンナ・カレーニナ』の世界を表現しているとのことだが、大変残念なことに私は原作のあらすじを断片的にしか知らず、劇のストーリーをはっきり追うことはできなかった。ストーリーの代わりに、この劇の魅力は数々の断片として私の記憶に残った。英語の台詞の間にいきなり挟み込まれる日本語「ですか」。トランペット、チェロ、アコーディオン、人間の声、あるいは様々な形のグラスたちによる陽気で楽し気な、迫力ある素敵な音楽。人間たちの陽気な宴会の横でグラスたちがテーブルを生き生きと踊りまわり、グラス同士で噂話をする。優雅な貴族たちと浴びるように飲まれるウォッカ。羽ペンと紙とバチでかたちづくられ、すぐに消えていく鳥。躍動する生とすぐそばに横たわる死(とはいえ、この劇の最後には演者たちがDie!Die!Die!と叫びまくっていて死すらも何か浮かれた、活動的なものに見える)。

 そこにとどまるものはなく、すべてのシーンが一瞬でさかさまにひっくりかえる可能性を秘めている。私はこの劇のすべてを意味あるものとして受けとることはできなかったが、意味からあふれつつこの優雅で静かで陽気で騒々しくて陰気でハチャメチャな一瞬の宴会を楽しんだ。

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感想に書きそびれたこと。

当日観た後にバックステージツアーがあって、ここに書いてあるモノたちを間近で見せていただけたのですが、

様々なグラスたちも本も、静かに動くはずのない「モノ」としてそこにあって、

ついさっきまで舞台上で踊り狂っていたとは思えそうもない感じなのがびっくりしました。